この記事の見どころ
⭐️35歳で看護学校入学、40歳で国試合格。
- 「夢を追うのはいつでも遅くない」という一言が背中を押した 高校時代に英語コースを選んだせいで看護学校受験に不利になり、一度夢を諦めた。スポーツインストラクター、飲食業、コールセンター、営業と様々な仕事を経験した後、あるイベントで出会った人の言葉で再び動き出した。働きながら夜間部に通い3年間で国家試験に合格。
⭐️ 「病院はマイナスをゼロにしかできない」生活習慣病の末期患者ばかりの病棟で気づいたこと
- 新卒で入った病棟は透析・切断手術が多い生活習慣病末期の患者ばかり。「健康だった時の状態には戻せない」という現実に直面し、「だったら予防が必要じゃないか」という思いが生まれた。町の保健室を作ったのはその延長線上にある。
⭐️ 二度の適応障害。「こんな明るい私でも」という経験が、今の活動の原点に
- 元来の明るい性格から「え、適応障害?嘘でしょ」と言われるほどの人物が、二度にわたって適応障害を経験した。だからこそ「誰でもなりうる」と分かった。笑顔を失いかけた自分が、栄養・運動・生活習慣の見直しで回復した経験が、セルフケアサポートの核になっている。
⭐️ 「不安じゃない時も来ていい」。学校の保健室みたいな大人の居場所を地域に
- 病院に行くほどじゃないけれど誰かに話したい。そのグレーゾーンに対応できる場所が日本にはほぼない。しんどい時も、しんどくない時も、話すだけで元気になれる「町の保健室」を夫のカフェに併設する形で作った。
⭐️ キャンピングカーで日本一周しながら全国に拠点に。自分らしく輝く女性を一人でも増やしたい
- 夫のカフェが今年いっぱいで閉店するタイミングに合わせて、キャンピングカーで日本を旅しながら、全国各地で町の保健室を開いていく構想を描いている。BeautyJapan2026山口大会への挑戦も、その夢を広げる一歩になっている。
Interview
「笑顔のきっかけを与えられる人間でいたい」福岡県北九州市を拠点にセルフケアコーチとして活動する大西 亜友実(おおにし・あゆみ)さんは、そう話す。35歳で看護学校に入り、働きながら夜間部に3年間通って40歳で国家試験に合格。40歳の新卒として配属された病棟で「病院はマイナスをゼロにしかできない」という現実と向き合い、予防医学の世界へ。二度の適応障害を乗り越えた経験が、「誰でも笑顔を失いうる」という確信と「だからこそ話せる場所が必要だ」という思いに変わった。夫が経営するカフェに「町の保健室」を併設しながら、笑顔を取り戻せる地域の居場所づくりを進めている。大西 亜友実さんにインタビューしました!

現在の活動内容を教えてください。

平日は訪問入浴という介護サービスの事業所で看護師として働きながら、その傍らでセルフケアサポートとイベントサポートの活動をしています。セルフケアサポートは、メンタル面で落ち込んでしまっていたり体調が不安な方に対して、栄養・運動・習慣化のところからサポートさせていただく活動です。
夫が経営する小さなカフェに「町の保健室」という名前で健康相談の場所を併設していて、気軽に相談に来ていただける場所として開いています。まだ少しずつ広げていっている段階ですが、セルフケアができる人を一人ずつ増やしていくことが今の活動の軸です。
プラスで、週に2回ほど暗闇キックボクシングのインストラクターもやっています。薄暗い中でサンドバッグを殴ったり蹴ったりするというものなのですが、もう趣味と実益を兼ねているという感じで(笑)。
今年はBeautyJapan2026山口大会にも挑戦していて、自分を知っていただくきっかけにしたいと思って活動しています。

セルフケアサポートを始めたきっかけを教えてください。

40歳で看護師になって、新卒で配属された病棟が、生活習慣病の末期の患者さんばかりいるような病棟で、透析をされている方や、足を切断されてしまう方がたくさんいらっしゃいました。
そこで気づいたのが、「病院はマイナスをゼロにしかできない」という現実です。治療して良くなっても、健康だった時の状態には戻せない。じゃあ予防が必要じゃないかということになって、病院に行く一歩手前で相談できる場所が地域に欲しいと思うようになりました。
でも、そういう場所って今の日本にはほぼないんですよね。未病の段階で気軽に相談できるサードプレイス。家でも職場でもない第三の居場所。というのが本当にないので、それを作りたいというのが「町の保健室」の始まりです。
あとは、生まれ育った北九州が好きで、北九州の人たちが元気になってほしいという思いもあって。地元でこの活動をやりたいというのが背中を押してくれました。

看護師になるまでの経緯を教えてください。

子どもの頃から「あゆみちゃんと話すと元気になる」と言われることが多くて、周りの人のお世話をするのが好きだったので、看護師という仕事は自然と意識していました。祖母や母からも薦められていたりして。
ただ高校で英語コースを選んでしまったせいで受験科目が限られてしまって、看護学校受験が難しくなってしまって。就職氷河期だったこともあり、一旦夢を諦めて就職しました。スポーツインストラクター、飲食業、コールセンター、営業とありとあらゆる接客業を経験しました。
転機になったのは、あるイベントで知り合った方に「夢を追うのはいつでも遅くないよ」と言っていただいたことです。その言葉をもらってから改めて調べてみたら、准看護師の資格なら働きながら半日で学校に行けるところがあると分かって。35歳で看護学校に入りました。
准看護師を取った後は、昼間は看護師として働きながら夕方から夜間部に通って、3年間かけて正看護師の国家試験に合格しました。40歳での合格です。友人からは「動いていないと死ぬんじゃない?」って言われるくらい、常に何かやってきたんですが(笑)、そのおかげで今があると思っています。

仕事で大切にしていることを教えてください。

「笑顔のきっかけを与えられる人間でいたい」というのが一番です。人間って、笑っていたら落ち込むことが難しいと思っていて。自分がきつい時に無理して笑顔になる必要はないけれど、できるだけ笑顔でいようと思っているし、周りにも笑顔のきっかけを作れる人間でいたいと思っています。
「町の保健室」のコンセプトも同じで、不安な時だけじゃなくて、不安じゃない時も来ていい場所にしたいと思っています。学校の保健室って、しんどくて行く時もあれば、しんどくなくても保健室の先生と話すだけで元気になって教室に戻れるという雰囲気があったじゃないですか。あの大人バージョンを地域に作りたいというのが原点です。

これまでで乗り越えてきた経験を教えてください。

二度の適応障害を経験しています。今の私を見た人には「え、嘘でしょ?」と言われるくらいなのですが(笑)。
一度目は看護学校に入る少し前の時期で、目標を見つけて生活リズムを整えていくうちに、薬の量が徐々に減っていきました。二度目は新卒で入った病院で、抱え込みすぎて誰にも相談できないまま仕事に行けなくなってしまって。その時に、栄養状態が悪いとメンタルにも影響するということを初めて知って、朝日を浴びる・運動する・栄養を整えるという三つを意識したら、すごく元気になれたんです。
この経験から気づいたのが、「こんな明るい私でも適応障害になるんだから、誰でもなりうる」ということです。それからは、そういうリスク状態にいる人を少しでもその状態から離すことができる自分でいたい、挑戦している人の背中を押せる人になりたいという気持ちが強くなりました。

活動を通じてどんな影響を与えていきたいか、これからの展望も教えてください。

「この話、誰にも話せていないけど誰かに聞いてほしい」という思いを持っている人が、気軽に立ち寄れる場所を増やしていきたいです。カウンセリングとして病院で受けなくても、ちょっと話すだけで元気になれる場所があれば、メンタルの不調が深刻になる前に自分で対処できる人が増えると思っています。
展望としては、夫のカフェが今年いっぱいで閉店するタイミングに合わせて、キャンピングカーで日本一周しながら各地でお店を開いたり、町の保健室を開いたりしていきたいと思っています。夫もキッチンカーでお店を出してみたいという思いがあって、二人で旅しながら活動できたら素敵だなと思っています。
日本中に「私たちを待っている人がいる状況」を作りたい。BeautyJapan2026への挑戦も、自分のことを知っていただく一つのきっかけとして、全力で取り組んでいます。

最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

笑顔を失いかけている方、一人で抱え込んでしまっている方に届いてほしいです。私自身も笑顔を失ったことでメンタルが落ち込んだ経験があって、そういう方を一人でも減らしたいという思いで活動しています。
まずはお話だけでもどうぞ。不安じゃない時でも、ふらっと立ち寄ってもらえるような場所でいたいと思っています。笑顔の人を一人でも増やしていけるように、これからも動き続けます。

