インタビュートレーナー九州・沖縄運動

野球少年からピラティストレーナーへ。11年間の挫折が教えてくれたこと【ピラティス&整体 コレット 代表 笹本 海斗】

インタビュー

この記事の見どころ

⭐️ “コレット”という名前に込めた想い

  • 「コア(Core)+リセット(Reset)」の造語。根本を整えるという理念が、名前そのものに凝縮されている。

⭐️ 11年間の野球人生と、突然の終わり

  • 小学校から専門学校まで野球一筋。最後の大会直前、バントの練習中に指を挟むという悲劇的なアクシデントで、夢への扉が閉じた。

⭐️ 自動車専門学校→モデル→ジムアルバイト。異色すぎる経歴の裏側

  • 野球後の空白期間、「自分の価値を高めたい」という一心でファッションショーに飛び込み、モデル事務所へ。体を絞るためにジムで働き始めたのが、トレーナーとしての原点だった。

⭐️ 「ひどい人見知り」というコンプレックスが武器に

  • もともと人見知りで、モデルのコンテストでも実力を発揮できなかった。しかし「挑戦する姿で誰かに勇気を与えたい」という思いに変えることで、仕事も人間関係も変わっていった。

⭐️ ブラジルの子どもたちに野球道具を届けたい

  • グローブ1つが親の月収の半分に相当するブラジルでは、道具がないために野球を諦める子が多い。自分が愛したスポーツで、見知らぬ子どもたちの笑顔と未来を守りたいという、壮大なビジョン。

Interview

熊本県・水前寺〜味噌天神エリアを拠点に、「ピラティス&整体 コレット」を営む笹本 海斗(ささもと かいと)さん。パーソナルピラティスを軸に、体の根本から整えるセッションを提供しています。野球、モデル、ジムスタッフ……まったく異なるキャリアを歩んできた笹本さんが、なぜピラティスを選び、独立という道を切り拓いたのか。その背景には、挫折と迷いの中で見つけた「人の役に立つ喜び」がありました。笹本 海斗さんにインタビューしました!

中村

まず、現在の活動について教えてください。

笹本さん

 熊本県の水前寺・味噌天神エリアで、「ピラティス&整体 コレット」という名前でパーソナルセッションをしています。
メインはピラティスで、全体の約9割がピラティスのセッションです
60分のセッションの中で、整体的なアプローチは最後の10分ほど取り入れる形が多いですね。

中村

「コレット」という名前、とてもユニークですね。どこから来ているんですか?

笹本さん

ありがとうございます。
Core(コア)」と「Reset(リセット)」を組み合わせた造語なんです。ピラティスは体幹=コアを鍛えるメソッドですし、根本からリセットして整えていこう、というイメージを込めて作りました。

中村

ピラティストレーナーとして独立しようと決めたきっかけは何でしたか?

笹本さん

 元々いたジムでトレーナーとして働き始めてから、お客様に心から「ありがとう」と言っていただける機会が増えてきたんです。

腰痛改善をメインに担当していたんですが、「もっと多くの人を救いたい」という気持ちが芽生えてきた時期に、ちょうどジム側がパーソナルセッション数を縮小する方向になってしまって。
「このままいたらお客様が減るだけだ」と感じ、自分でやると決めました。

中村

ピラティスを専門に選んだのはなぜですか?

笹本さん

周りと違うことがしたい」という気持ちが昔からあって(笑)。
パーソナルトレーナーといえば筋トレ、というイメージが強い中で、ピラティスや呼吸改善にフォーカスしている人がまだ少ないなと感じていたんです。
男性のピラティストレーナーも珍しい存在でしたし、それが自分の”色”になると思いました。

中村

トレーナーになる前はどんな経歴をお持ちですか?

笹本さん

小学校から専門学校まで、11年間ずっと野球一筋でした。
ソフトバンクの選手を一人ひとり覚えるくらい野球が大好きで(笑)。ポジションはピッチャーが長くて、高校ではバッティングを活かしてファーストも担当していました。

中村

野球を辞めたのはどんな経緯でしたか?

笹本さん

専門学校の時、高校でできなかったピッチャーとして結果を出せそうなタイミングで、練習試合のバントの際にバットとボールで指を挟んでしまって。爪がえぐれてしまい、
毎週病院で腐りかけた部分を麻酔して削るという処置を繰り返すことになったんです。

一番大事な大会の直前で、しかもモチベーションが最高潮だったタイミングだっただけに……
一気に気持ちが折れてしまいました。

中村

野球を辞めた後はどのような道を歩んだんですか?

笹本さん

 自動車専門学校に入っていたのですが、野球も自動車も「これだ!」とはなれず(笑)。

でも当時自分の価値を高めたいという気持ちだけは強くて。おしゃれが唯一の趣味だったこともあり、ファッションショーに応募したら受かって、そこからモデル事務所に入ることになりました。
ただ、当時は野球体型だったのでまず体を絞るようにと言われて。お金もなかったので、無料でトレーニングできるジムのアルバイトを始めたのが、今につながる最初の一歩です。

中村

仕事をする上で、大切にしていることを教えてください。

笹本さん

 「ありがとう」と「笑顔」を増やすこと、これが一番です。
トレーナーの仕事を通じて、お客様が痛みや不調から解放されて笑顔になる瞬間がある。その瞬間が本当に嬉しくて、もっともっとその数を増やしたいという気持ちが活動の原動力になっています。

また、みんな同じことをするのが苦手なんです(笑)。
野球部の頃から、同じユニフォームを着ている中で服装だけでも目立ちたいと思うくらい。だからこそ、周りと同じことではなく、自分にしかできないアプローチで人の役に立ちたいと思っています。

中村

これまでで特に大変だったことや、乗り越えた経験を聞かせてください。

笹本さん

 実はもともとひどい人見知りで、これがずっとコンプレックスでした。仕事の場でもマイナスに働くことが多くて、モデルのコンテストでも、人見知りのせいで本来の力が出せず、なかなか結果が出せなかった時期がありました。

自分なりに「どうすれば変われるか」を考えた時、
「失敗してもいいから、挑戦している姿を見せることで誰かに勇気を与えよう」 と思い方を切り替えたんです。
自分が発信することで、少人数でも「すごいな」「頑張ってるな」と言ってくれる人が現れてきて、それがまた自信になっていきました。

人見知りは治るものではないかもしれませんが、今では大人数のピラティスレッスンも担当できるようになりましたし、そのコンプレックスがあったからこそ伝えられることがある、と今は思えています。

中村

活動を通して、どんな人に届けたいですか?どんな社会を作りたいですか?

笹本さん

 自分が経験したような、「生きる価値ってなんだろう」と思い悩む人たちに届けたいと思っています。
専門学校を卒業して就職のタイミングで、野球も自動車も上手くいかなくて、人生終わったような気持ちになった時期があって。あの頃の自分みたいに追い詰められた人たちに、「第二の人生として目指せるものがまだあるよ」というきっかけを作りたいんです。

体を整えることは、その入口になれると思っています。ピラティスを通じて体が変われば、気持ちも変わる。
そして健康に関わるトレーナー同士も、競い合うのではなくみんなで協力して「運動したい」「健康になりたい」という人を増やしていける社会にしたいです。

中村

これから挑戦したいことを教えてください。

笹本さん

  近いところでは、月1〜2回のイベントを企画しています。ジャーナリング(自分の思考を書き出す習慣)とランニングを組み合わせたもので、参加者同士が互いを認め合いながら自己肯定感を高め、良い思考で前に進める場を作れたらなと思っています。
自分自身もまだ練習中ですが、だからこそ「一緒に高め合っていける場」にしたいんです。

大きなビジョンとしては、ブラジルの子どもたちへの野球道具の支援があります。ブラジルでは野球がしたくてもグローブ1つが親の月収の半分ほどする場合もあって、道具が買えずに野球を諦める子がたくさんいるんです。
サッカーに興味が持てなければ悪い方向に進んでしまう子も多いと聞いて、選択肢として野球があれば救われる子がいるかもしれないと。自分が愛したスポーツで、世界の子どもたちを笑顔にしたいという夢があります。

中村

最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

笹本さん

  健康に関わる仕事をしている方も、全然違う職種の方も、ぜひ一緒に「幸せな人を増やす活動」をしていけたら嬉しいです

同業者同士が競い合うのではなく、それぞれの強みや個性を持ち寄って、「運動したい」「健康になりたい」という人をもっと増やしていきたい。どんな分野であれ、自分の経験やコンプレックスが誰かの力になれる瞬間が必ずあると信じています。一緒にやっていきましょう!

笹本 海斗さん、インタビューにお答えいただきありがとうございました!
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