この記事の見どころ
⭐️「カレーライスといえばレトルト」——子どもたちの食の変化に覚えた危機感
- ある時、1人の子どもが「今日は本物のカレーライスだよ」と言ったので、何カレーなの?と聞いたらレトルトカレーと言う。その子どもはレトルトカレーを「本物のカレー」だと思っていた——そんなエピソードを耳にした時の衝撃が忘れられないという。「カレーライスぐらい普通に作ろうよ」という思いが、20代の女性に基本的な料理を伝えたいという料理教室の原点になっている。
⭐️33年間、厳しい環境でやり抜いた忍耐と知恵
- 就職した病院はとにかく厳しく、断るという選択肢はない。やらなければならない状況の連続だった。しかしその経験が今の豊田さんを作っている。「人は切羽詰まった時にいろんなアイデアが出てくる」「一人の知恵より十人の知恵」——チームで話し合い、知恵を出し合いながら乗り越えてきたことが、今もフリーランスとして動く力の根底にある。
⭐️「料理を教えられる栄養士を育てたい」——40年のキャリアが生んだ、次の世代への使命感
- 専門知識や資格を持っていても、それを一般の人の生活に届けることが難しいという現実を、40年のキャリアの中で見続けてきた。「知識を学ぶだけでなく、実践の場で力を発揮できる栄養士が増えてほしい」という思いが、料理教室を立ち上げた背景にある。若い栄養士にも料理の技術と楽しさを伝えていくことが、地域の食を守る次の一手だと考えている。
⭐️母の食事をきっかけに気づいた、高齢者の栄養の大切さ
- 90歳を前に低栄養状態になったお母さんを自宅に引き取り、管理栄養士として食事の世話をしたところ、半年の命と言われていたのが5年元気に過ごせた。この経験が、高齢者の栄養サポートへの思いを強めた。食べることの力を、家族への関わりを通じて身をもって実感した出来事だった。
⭐️前向きな人と繋がりたい——「できない理由を述べる人」より「どうしたら成功するかを考える人」と
- 新しいことが来た時に「これはどうやったら成功するか」を考える——そういう前向きな方と一緒に動きたいという思いが、33年の病院勤務を経て独立した今、一層はっきりしている。野菜の専門家・薬膳・ハーブなど、食の世界をともに広げていけるパートナーを求めている。
Interview
「子どもたちに食の大切さを伝えていきたい——そういう思いがずっとあって」。そう語るのは、熊本市を拠点にフリーランスとして活動する管理栄養士・豊田裕輝子さんです。神戸の保育園での勤務を経て熊本の病院に33年、管理栄養士としてのキャリアは40年に及びます。退職後は地域に根差した栄養サポートを続けながら、子どもたちの食の変化に危機感を感じ、20代の女性や若い栄養士に向けた料理教室のスタートを準備しています。「生活の一部になるような食事」を届けたいという豊田さんにインタビューしました!

現在は、どのような活動を中心にされているんですか?

主にクリニックの栄養指導を週2日の午前中に行っています。それとは別に、後期高齢者の重症化予防のための訪問の仕事もしています。高齢者の方のご自宅を訪問して、生活や食事の状況をお聞きしながら必要なサポートをしていくというものです。
そして料理教室の準備を進めています。料理が苦手な方や、これからママになる方、20代の若い女性を対象に、定番メニューをしっかり身につけていただくことをテーマにしています。まずは基本をマスターしてもらって、そこから時短メニューや応用を学んでいける流れを考えています。

もともと薬剤師を目指されていた中で、管理栄養士の道へ進まれたきっかけを聞かせてください。

もともとは薬剤師を目指していたんですよ。友達のお姉さんが薬剤師でとても素敵な方でいいなと思って。でも薬剤師のレベルには届かなかったので(笑)。私は理系女子だったので、英語・数学・理科で受験できる栄養士の学校を探して、都会に出たくて神戸の大学に進みました。
正直、栄養士という仕事に最初から強い思いがあったわけではないのです。でも振り返ってみると、小さい頃から料理が好きで、中学校の頃から卵焼きやサンドイッチを作っていました。コンビニのない時代だったので自分で作るしかなかったんですよね。そういう下地があったから、40年続けてこられたのだと思います。

保育園から病院、そして独立へと続くこれまでのキャリアについて聞かせてください。

大学卒業後は神戸市内の保育園に就職して、32〜33歳ごろまで勤めました。大学時代の病院実習がとても大変で「病院だけは嫌だ」と思っていたんですが。(笑)その後、熊本に戻ることになって、いくつか受けた中で給与が一番良かった病院に就職したんです。入ってみたらとにかく厳しくて、何でもやらなければならない状況が続きました。最初は「こんなはずじゃなかった」と思うこともありましたが、気づいたら33年いました(笑)。
その間に、栄養ケアステーションの立ち上げも任されました。最初は戸惑いましたが、「新しいことをやりたい」という気持ちもあって、3年ほどで軌道に乗せることができました。退職する際は、自分がやってきたことをきちんと後輩に引き継いでから離れました。今は独立して、クリニックや訪問の仕事をしながら、フリーランスとして活動しています。

今、フリーランスとして活動される中で、どんな想いを大切にされているのでしょうか。

繋がりを大切にしたいというのが、今一番強く思っていることです。病院にいた時は付き合いで関わらなければならない人もいましたが、これからは「この人と繋がっていたい」と思う人と、しっかりコミュニケーションを取っていきたいと思っています。
それから、前向きな人と一緒に動きたいですね。できない理由をずらずら述べる人より、「どうやったら成功するか」を考える人と一緒にいたい。新しいことに対してそう考えられる人と、面白いことをやっていきたいと思っています。栄養士としては、「生活の一部になるような食事」を届けることを大切にしています。きちんとした料理教室というより、毎日の生活に自然に取り込んでいける食事の方法を身につけてもらいたい。それが自分の健康にも、家族の健康にも繋がっていくと思っています。

33年の病院勤務を通して、今の豊田さんにつながる印象深い経験を聞かせてください。

33年の病院勤務は本当に大変でした。毎年、業務遂行計画の発表会と反省会があって、目標・テーマ・具体的な実行計画をまとめて発表しないといけない。最初は何なのかもわからなくて、それが一番しんどかったかな。
でも断ることができない環境の中で、「やるしかない」という気持ちでやり続けていたら、切羽詰まった時にいろんなアイデアが出てくるということに気づきました。栄養科のメンバー5〜6人でいつも話し合って、一人の知恵よりも十人の知恵で決めていくというやり方が自然と身について、それが今の自分の財産になっています。

料理教室を通して、これからどんな食の未来を広げていきたいですか?

20代の女性にちゃんとした料理を作れるようになってほしいという思いが強くあります。高齢者の栄養問題を見ながら、「この年代の前はどうなんだろう」と遡って考えていくと、やっぱり20代の頃の食習慣が基盤になっていると感じていて。
ある時、子どもたちが「今日は本物のカレーライスだよ」と言ったら、レトルトのカレーが「本物のカレー」だと思っていた——という話を聞いたことがあって。カレーライスぐらい普通に作ろうよ、と思ってしまって(笑)。子どもたちの食のルーツは、ママの食事から作られていく。だからこそ、若い世代に基本的な料理を伝えることが、日本の食の未来にとって大切なことだと思っています。
また、料理を教えられる管理栄養士を増やしたいという思いもあります。専門知識や資格は大事ですが、それが一般の人の生活に届かなければ意味がない。実践の場で力を発揮できる栄養士を、自分の活動を通じて増やしていきたいと思っています。

料理教室をはじめ、これから先どのようなことを形にしていきたいですか?

料理教室をしっかり軌道に乗せていきたいですね。20代の女性だけでなく、料理に興味のある若い栄養士さんにも来てもらえたらいいなと思っています。料理を教えることができる栄養士が増えれば、地域全体の食の底上げにつながっていくと思うので。
それから、野菜に詳しい方や薬膳・ハーブに詳しい方など、食の世界をともに広げていけるパートナーと繋がっていきたいと思っています。私が得意でない部分を補い合いながら、いろんな人の力を借りて、一緒に面白いことをやっていけたら嬉しいです。

最後に、毎日の食事を大切にしたい読者へ、伝えたいことを聞かせてください。

食事って本当に大切なんです。病院を退職して自分で三食作るようになって、改めてそれを感じています。何歳まで生きるかわからないけれど、元気よく生きていきたい——そのための方法として、食事はとても大事な土台になります。
きちんとした料理教室というよりも、生活の一部になるような食事の方法を身につけてもらいたい。一人でも多くの方に、そういう食との向き合い方を伝えていきたいと思っています。一緒に作っていきましょう。
豊田 裕輝子さん、インタビューにお答えいただきありがとうございました!
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