インタビュー医療看護関東

医療は資源だ。少子高齢化と救急崩壊の現実を変えるために、一人の父親が起こした5つの事業【Azure Grove Innovate株式会社 代表取締役社長 鈴木 彰洋】

インタビュー

この記事の見どころ

⭐️14歳で祖父の急性大動脈解離に立ち会い、「救急医療に携わる」と決意した原点

  • 学校から帰ったら祖父が搬送されていた。「あと一歩早ければ手術できた」という現実と、家族が揃った瞬間に反応した祖父の姿。家族に看取られることも医療のひとつだと気づいた14歳の原点の話。

⭐️ 消防士を目指した専門学校で進路変更。「人を捕まえて、かつ救助できる場所」を求めて海上保安官へ

  • 専門学校実習中の経験から、逮捕と救助を同時にできる職場として海上保安庁を選んだ。初任務は18歳の若者の遺体を確認するという現場で、21歳だった自分には声のかけ方もわからなかった。海猿の訓練を経て、2011年3月には退職直前に東日本大震災の現場任務へ。命と向き合い続けたキャリアの軌跡。

⭐️ 息子の呼吸停止、そして現場で見た「3歳の心臓停止」人生観を根底から変えた二つの出来事

  • 医療的課題のある息子が、3歳のときに隣で呼吸停止した。そして消防職員として現場に出た日、息子と同じ年の3歳の子が心臓停止していた。放心状態の親の前に立ちながら、「行ってらっしゃいが必ずただいまに繋がる場所を作らなきゃいけない」という覚悟が生まれた。

⭐️ 逃げたいと思ったことは何度もあったそれでも「自分が選んだ道だ」という一点だけは揺らがなかった

  • 初任務での若者の死、震災での遺体収容、息子と同じ年の子どもの心臓停止。命の現場で何度も限界を感じながら、それでも踏みとどまり続けた。その覚悟が今の活動の根底にある。

⭐️ 最終目標は「医療ケア児版ディズニーランド」今の5つの事業はその夢への土台づくり

  • 気管切開をしていても、どこに行っても全力で遊べる場所を47都道府県に作る。その夢を実現するために、今の事業がある。民営化も子ども食堂もAI塾も、すべて一本の線でつながっている。

Interview

「全ての子どもが全力で遊び学べる社会を創造する」子育て支援事業を展開するAzure Grove Innovate株式会社 代表取締役社長の鈴木 彰洋(すずき あきひろ)さんは、その想いを実現するために今5つの事業を同時進行で動かしている。14歳で祖父を看取り、救命士専門学校を経て海上保安官へ。初任務は若者の死、東日本大震災での遺体収容活動、消防職員として現場で見た「息子と同じ年の子どもの心臓停止」。幾重にも重なる命との対峙が、この男の行動原理を形作ってきた。民間救急の民営化、子ども食堂、AI学習支援、アレルギー対策……

一見バラバラに見える事業群はすべて、47都道府県に「医療ケア児版ディズニーランド」を作るという、父親としての覚悟から生まれた夢に向かっている。鈴木 彰洋さんにインタビューしました!

中村

現在の活動と、メインとなっている事業を教えてください。

鈴木さん

現在5つの事業があって、どれも少しずつ進んでいる状況です。
大きな枠組みで言えば「子育て支援をしている」ということです。理念は「全ての子どもが全力で遊び学べる社会を創造する。子どもが大人になる過程で直面する課題を全て解決する」ということで、家庭環境や経済状況、健康面など子ども自身ではどうにもできない壁を、社会の仕組みとして取り除いていく。それに該当することをひたすらやっている形です。

メインは「Azure Heart Agency」という、救急隊を民営化する事業です。全国に600箇所の診療所を作って、そこに救急車を配置して、年間の救急出動の1割でもいいから民間が代替しようというものです。

株式会社は病院を建てることも救急車を購入することもできないので、MS法人というアウトソーシング会社という形態になります。病院の受付って、外部の方が座っていることが多いじゃないですか。
本来の病院業務じゃないところをアウトソースするのがMS法人で、私たちは救急車の運行会社になるイメージです。まず全国600箇所に広まれば「救急車は税金で運用するもの」という概念が変わって、最終的には完全な民営化にたどり着くだろうというのがゴールです。

中村

子ども支援の事業についても教えてください。

鈴木さん

救急事業で収益を出して、その資金を使って展開したいのが子ども食堂「Grove」です。常設で常に運営していて、放課後のお子さんがそこで勉強して、お父さんお母さんが迎えに来るまで食事もできる。放課後デイとか児童館とかコンビニとか子ども食堂を全部合わせたような、本当の意味での居場所ですね。衣食住の「食」の部分をそこでまかなえるようにしたい。

学びの面では「Growth」というAIを活用したオンライン指導塾を開発しています。AI時代になって、将来どんな仕事があるかすら予測できなくなっていますよね。将来を予想して学ぶより、今にフォーカスした学びをAIが解析して届けてくれるというものです。

もう一つが「Aegis Hug(イージスハグ)」というアレルギー対策品のECサイトです。医学的ケアの必要な子や、給食でまかないきれない部分があったり、栄養の偏りが出やすかったりする。そういう子たちに向けた商品を自社開発して届けたいと考えています。

さらに「イージスライフ」という、子どもの通園通学中の交通事故を防ぐGPS連動の衝突予知システムも構想しています。開発費が莫大にかかると分かって事業化は一旦断念しましたが、民営化で収益が出たら学校に寄付という形で全校に届けたいと思っています。

中村

子どもたちのためにここまで動くきっかけは何でしたか?

鈴木さん

 もともと消防職員として犠牲になる子どもたちを毎年のように見てきたこと、医療的ケアが必要な子どもたちにあと一歩で届かなかった経験があること。そういったベースはありました。

決定的だったのは息子のことです。息子は生まれた時から医療的な課題がある状態で、3歳のときに一緒にお昼寝をしていたら、隣で呼吸が止まったことがあります。原因は不明のままでしたが、本当に怖かった。
これはもう、息子が大人になる過程で直面する命がけの課題なんだなと覚悟しました。

その後、小学校に上がるにあたって毎日の送り迎えが必要になりました。消防職員の24時間勤務ではそれができない。消防士という夢と息子の養育を天秤にかけたとき、迷いなく息子を選びました。「どうせ退職するなら、子どものためになる仕事がしたい。子どものそばにいたい」
それが起業に繋がった、少し変わった法人設立の経緯です(笑)。

中村

救急の世界を目指した原点と、そこからのキャリアを教えてください。

鈴木さん

中学2年生、14歳のときに一緒に住んでいた祖父が急性大動脈解離で亡くなったことが原点です。
学校に行っている間に背中が痛いと言って、母と病院に行ったんですが、高齢でもあったことから手術は難しいという状況で、親族が集まるまでキープするという選択になりました。父の妹が駆けつけてきたとき、祖父がその顔を見て反応したんですよ。
その瞬間に「医療でこう支えることも大事だけど、家族に看取られるという選択肢も医療なんだ」と感じて。一方で「あと一歩早ければ手術できた」という現実もあって。人の救急医療に携わるってすごい仕事だなと感じ、14歳でそれを決めました。

高校は山岳部のある学校を選んで、その後大阪の救命士専門学校に進みました。専門学校での病院実習中に、人生で初めて心臓マッサージをした相手が犯罪被害に遭われた方でした。
「人を救助するだけじゃなく、犯人を捕まえることも必要なんじゃないか」という気持ちが生まれて。そこで逮捕も救助もできる海上保安庁という選択肢が浮かんできました。

卒業後に海上保安官として採用されて4年間働きました。映画「海猿」のモデルになった研修も受けたんですが、過酷な訓練で両足が動かなくなってしまって、体の限界から研修を離れることになりました。退職を決めたのが2011年で、3月31日に退職する予定だったところ、3月11日に東日本大震災が起きて。退職前最後の2週間が、震災の現地対応と、海に流されてしまった方々を見つけるという任務でした。

その後は消防職員として働きながら現場を続けていたんですが、一番苦しかったのが、息子が3歳のとき、現場に行ってみたら息子と同い年の3歳の子どもが心臓が止まっていたことです。残念ながら助からなかった。放心状態になっているお父さんお母さんの前に立たなければいけない、その光景が忘れられなくて。

海上保安官になりたての21歳のとき、初めての仕事も、18歳の若者が漁船に引かれて亡くなった案件で、ご両親にお茶を出すよう言われて、でも何を言えばいいかわからなかった。
当時の気持ちを今の言葉にするなら、「虚無感」が一番近いかもしれません。人を助けたいという思いでこの道を選んできたのに、救えないことがあるという現実を何度も突きつけられた。

中村

命の現場を見続けてきた中で、今大切にしていることを教えてください。

鈴木さん

「今やれることを全力でやる」ということです。後でやろう、明日でいいかな、ということは思わないようにしています。
自分の人生が明日終わるかもしれないし、あと50年あるかもしれない。終わりが見えない中でペース配分するのって、実は無理だと思っていて。
だから毎日寝るときに「昨日も頑張れたな」「子どもたちのためになることを一つできたかな」と思って一日を終えられるように動いています。

命の現場を見続けてきたからこそ、「行ってらっしゃいと言ったら必ず帰ってくる」と思っている人が多いけど、そうじゃないこともあるというのをずっと見てきた。
だからこそ今日この一日が本当に大切なんです。今の活動は全部、毎日お父さんお母さんが「行ってらっしゃい」と送り出して、子どもたちがちゃんと「ただいま」と言って帰ってこられる社会を作りたいというところに繋がっています。
逃げたいと思ったことは何度もありました。
それでも「自分が選んだ道だ」という一点だけは揺らがなかった。14歳の自分が決めたこと、その選択に今も向き合い続けているという感覚です。

中村

事業を進める上で今感じている葛藤を教えてください。

鈴木さん

民営化は多くの医療機関と連携しなければいけないので、正直一人でできるのかという不安はあります。
息子のことでいえば、息子は11歳になったときに大きな手術をする可能性があります。そのとき、もし救急医療が崩壊していて子どもが助かりませんでしたなんてことは、父親として絶対に許せないし、元救急隊員としても絶対に見逃してはならない現状だと思っていて。そこを打開したいというのが今の一番強い動機です。

自分自身の子どもへの思いと、社会全体への思いが完全に一致しているから、ここまで動けるのかもしれません。

中村

活動を通してどんな影響を与えていきたいか、これからの展望も教えてください。

鈴木さん

少子高齢化の時代に、医療は資源なんだということをまず伝えたい。救急車を気軽に呼んでしまう方を批判する気は全くなくて。

自分で判断できないとき、不安を誰かに解消してもらいたいというのは自然なことだと思っています。その不安に応えられる場所さえ作れば、日本の救急医療は守れると思っています。
今、それに対応する存在として第3の選択肢があるんですが、「様子を見て何かあれば119番してください」と言われて終わることが多い。入り口は第三の選択肢があるのに、出口は結局119番に繋がっているんです。不安は解消されていないから、また119番する。根本的な解決になっていない。

私たちが作ろうとしているのは、第三の入り口にしっかりと医療的な判断ができて搬送機能も持った組織です。意外とシンプルだと思っています。
その先のゴールは、47都道府県に「全ての子どもが全力で遊び学べる場所」を作ること。気管切開をして呼吸管理が必要な子どもでも、どこに行っても遊べるように、看護師や常駐スタッフがいて安心して過ごせる。
言うなれば医療ケア児のためのディズニーランドです。今の事業は全部、その夢を実現するための土台づくりです。
民営化はあくまでそのための一ステップ。縁のつながりで話がとんとんと前に進んでいく感覚があって、必ず形にしてみせます。

中村

最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

鈴木さん

この構想は、救命士だけでは成立しません。
医師、看護師、訪問看護、介護、行政、IT、教育、地域企業・・・
多職種が同じ方向を向いた時、初めて地域医療は変わると考えています。なので、繋がりたい、一緒にやりたいと思っているのは、医療を変えたい人、医療に限界を感じている人です。

自分が頑張っても全然医療が変わっていかない、医療体制に変化を起こせないと感じている方。一緒にやりましょう。
医療って、意外とシンプルに変えられるんじゃないかというのを私は提案しています。子どもたちが安心して「ただいま」と言える社会を、一緒に作ってくれる人を探しています。

鈴木 彰洋さん、インタビューにお答えいただきありがとうございました!
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